根菜類(上)
現(xiàn)代醫(yī)學(xué)では近年、酸性度の高い血液や體は健康に良くないと再三強調(diào)されている。魚介類や肉類を使わない精進(菜食)料理は、肉料理より酸性體質(zhì)になるのを避けることができる。だから精進料理を食べる風(fēng)潮がますます広まっている。
レストランでは以前、菜食の材料を使い、鶏やアヒル、魚の肉に見立てて作っていたので、私は違和感を覚え、どうしても食欲が湧かなかった。精進料理に対する印象も良くなかった。しかしここ數(shù)年、臺灣の精進料理は、そんな見せかけの精神的な慰めから脫し、食材が本來持つ自然の恵みという健康的なイメージに戻り、健康にも役立っている。
一般的に菜食主義は、仏教の殺生を戒しめる規(guī)律と思われているが、実は聖書にもベジタリアンに関する記述がある。古代、バビロンの王様ネブカドネザルが病魔に冒されていたとき、神様の啓示を受けた――牛が青草を食べるように、できるだけ多くの野菜を食べなさいと。そこで王様はその通りにしたところ、奇跡的に病気が治ったという。また、相対性理論で知られる物理學(xué)者のアインシュタインも、「ベジタリアンの生活態(tài)度は、非常に単純な生理的なバランス?fàn)顟B(tài)から來ている」と述べている。
たっぷりの肉食に慣れた人たちが、健康の危機に気づいて食生活を変えようと思っても、西洋のベジタリアンのような自然な狀態(tài)になるのは容易ではない。だが、東洋の菜食主義のやり方を試みれば、徐々に體の変化を?qū)g感でき、健康になっていく。臺灣では、朝食に「野菜2種に果物一つ、サツマイモ一つ」あるいは「野菜3種に果物二つ、サツマイモ一つ」を食べる人が多い。この野菜と果物は旬のものを生で食べ、サツマイモはふかしたり焼いたりして食べる。こうした食生活によって、多くの人のアレルギー體質(zhì)が改善されている。
東洋と西洋の菜食主義者の料理の風(fēng)味の違いといえば、西洋の大半がソースで味をつけて食べ、火を通したり溫めたりするのが少ないことにある。その理由は、東洋には加熱に強い食材が多く、調(diào)理法も多様だからだ。
東洋には、根莖野菜や五穀?雑穀類とその加工製品、グルテンベースの食品、葉物野菜、地方特有のキノコ類や特殊な海藻類、それに熱帯の果物などが豊富で、漬物の伝統(tǒng)や豆類の副産物を作る技術(shù)もある。さらに、中華料理特有の包丁さばきや火加減、ゆでる?ゆがく、漬ける、炒める、煮る、蒸す、とろみをつける――といった調(diào)理法は、何千年もの経験を受け継いできたもので、精進料理のバリエーションとおいしさを豊かにしている。
私たちの食體系では、根莖類のサツマイモやヤマイモ、レンコン、サトイモ、こんにゃく、ごぼう、大根、ユリネなどはコラーゲンと多量の食物繊維を含んでいることから、健康増進の効果があり、精進料理に適している。
ヤマイモは漢方で「淮山」と呼ばれ、大量の多糖質(zhì)タンパクを含む粘性タンパク質(zhì)の混合物で、カロリーはなく、抗酸化作用があり、がん細(xì)胞を抑制し、生殖系にも良い。ヤマイモという名稱は、「山遇」(山での出會い)の伝説に由來すると言われる(中國語で山遇は山薬と発音が似ている)。
大昔の戦亂の時代、二つの國が戦をしていた。片方の食料のある國が、山奧にいる食料のない國を包囲し、食料を使い果たして降伏するのを待っていた。ところが食料のない國の軍隊は、ある植物の根を食べて飢えをしのぎ、馬はこの根のつるの葉を食料にして生き延び、とうとう奇跡的にも食料のある國を打ち負(fù)かしてしまった。この植物こそがヤマイモで、「山で出會った」ことから「山遇」と名付けられ、後に「山薬」へと呼ばれるようになった。
ヤマイモを扱うとき、皮に含まれるサポニンや、切ると出てくる粘液に含まれる植物性アルカリにアレルギーのある人もいるので、手袋をするとよい。うっかり觸ってかゆみなどのアレルギーが起きたら、ショウガ汁を付けるか酢の中に浸すか、あるいは軽く火に手をかざせばかゆみは取れる。
ヤマイモをさいの目切りにし、オニバスの実や、鶏肉の細(xì)切り、ネギ?ショウガの千切りと一緒に煮込んだかゆや、ハスの実、ハトムギ、ナツメ、オニバスの実、白インゲン豆、ユリネを黒砂糖で煮込んだかゆは、いずれも脾臓を丈夫にし、肺の働きを補うにはもってこいの食べ物だ。ヤマイモは、細(xì)切りにしてゆで、ゴマやしょうゆ、刻みネギと合わせると、さっぱりした前菜にもなる。ヤマイモとタケノコを一緒に煮込んだスープは実に美味と言える。ヤマイモのすりおろしとナツメを黒ゴマであえれば、砂糖を加えなくてもヘルシーで甘いデザートの一品だ。
レンコンもハスの実も、株が高く根の深いハスの花から採れる?!赶膜摔膝膝工位à颏幛?、秋はその実を採り、冬はレンコンを掘る」という言い習(xí)わしがあるように、水面に美しく咲くハスの花はそのあでやかな姿が魅力的なだけでなく、葉から種、根莖まで食用価値がある。
南宋の詩人?楊萬里は、レンコンの食感をこう表している?!秆─瑜辘栅铯栅铯?、絹よりなめらか。軽くつまむだけでほろほろと崩れ、かまずとも溶けるようだ」
レンコンはまた薄切りにして生で食べることもでき、明代の漢方醫(yī)學(xué)書『本草綱目』は「霊根」と呼んだ。唐代の思想家?韓愈も「雪や霜より冷たく蜜より甘い、一切れ食べれば重い病も治す」と賞賛した。中國人はレンコンの食べ方を知っていただけでなく、それが止血や血管を健康に保つ作用があることも分かっていた。
ハスの実はデザートによく使われる。江蘇省?廟港のハス池で見た蜂の巣狀のハスの花托は獨特で、美しいその姿に見とれてしまった。ふわふわのハスから取り出した実は、新鮮で苦味がなかった。その池の持ち主によると、泥には養(yǎng)分となるヤギのふんを入れ、人が池に浸かって全體をかき混ぜるという。こうすればレンコンもよく育つ。
レンコンはあえ物としても、骨付き肉と一緒に煮込んでスープにしてもおいしい。「氷砂糖レンコン」も多くの人に愛されるスイーツの一つだ。その作り方は難しくない。まずレンコンの穴にもち米をいっぱいに詰め、リュウガンとナツメと共に水を加えて煮込む。もち米が煮えたら鍋から出し、殘った煮汁に氷砂糖とキンモクセイを加え、とろみがつくまで煮た後、つけダレとして使う。
レンコンは、水に溶かして飲む伝統(tǒng)的な健康食品「藕粉」(レンコンのでんぷん)の原料でもある。臺灣の藕粉は全て臺南県の白河鎮(zhèn)で生産されている。ここの気候はレンコンを育てるのに適していて、農(nóng)民協(xié)會(農(nóng)協(xié)に相當(dāng))が常に栽培の方法と技術(shù)を提供しているため、地元の多くの家族経営の農(nóng)家では、夏にハスの実を収穫し、冬はレンコンを採っている。
藕粉の原料となるレンコンは、小さく水分の少ない物を使う。きれいに洗ったらミキサーにかけて細(xì)かくし、それをまた水で洗う。流れ出た水とレンコンが混じる白い濁った水を靜かに置いて沈殿させ、ろ過した後、さらに沈殿と乾燥を行う。地元では、作業(yè)中に出たかすを有機肥料として利用している。こうした作業(yè)を経て固まった藕粉を短冊狀に切り分け、乾燥するまで天日干しする。
200?のレンコンからできる藕粉はわずか1~3?で、その作業(yè)の順序は実に複雑だ。藕粉はお湯または水に溶かして飲むが、それ自體はあっさりして味はなく、ナツメやキンモクセイなどと一緒に煮ることが多い。藕粉で冷菓を作ることもできる。まず藕粉をだまができないように冷水で溶かし、湯を加えかゆ狀になるまで混ぜ、さらに少量のトウモロコシ粉を混ぜて形を整える。中のあんには緑豆やアズキ、サトイモなどを使い、きめ細(xì)かで軟らかく滑らかな口當(dāng)たりで、とてもおいしい。
『伝家』とは
臺灣の女性作家?姚任祥さんが7年の歳月をかけて書き上げた力作。春?夏?秋?冬の全4冊からなり、それぞれ六つのコーナーに分かれ、優(yōu)雅な文體と美しい寫真により、中國人の生活様式と伝統(tǒng)文化を季節(jié)ごとに描き出している。著者は、自身の家に代々伝わる「家伝」を通して、この本を読んだ人一人一人が自分の家に「家伝」を持つことを願っている。同書は、中國人なら誰もが持っておきたい伝統(tǒng)文化の百科全書であり、外國人が、古今を通じた中國人のライフスタイルとそこに宿る知恵を知る良き入門書である。
著者プロフィール
姚任祥(Yao Renxiang)
1959年生まれ。著名な京劇女優(yōu)?顧正秋(1928?2016年)の末娘で、國學(xué)の巨匠?南懐瑾(1918?2012年)の弟子。16歳で蕓能界にデビュー、初期の學(xué)園アイドル歌手の一人。現(xiàn)在、臺灣を代表する建築家?姚仁喜の妻で、3人の子の母親でもある。寶飾デザイナーで、美をこよなく愛し、20年來、さまざまなジュエリー作品のデザインを手掛けている。また作家としても活躍し、海外に留學(xué)する子どもたちが中國の伝統(tǒng)文化を忘れないようにと、『伝家』を出版した。